【第三章:親しさの増す仲、冷える仲】
「今日は20ページからだな」
高校の授業が始まった。中学とは比べものにならないほど、レベルが高く、進むスピードは速い。予習していかないととてもついていけない。加えて、初めての1人暮らし。普通ならば、ホームシックになっても不思議ではないが、智之はそうはならなかった。
「はい、ケーキですよ」
約束通り、この家の娘、小学3年生の由起子に勉強を教えていたが、その度に、慶子はケーキとオレンジジュースを用意していた。
「智之君、ありがとう」というのが休憩の合図だった。
そして、今日も「智之君、ありがとう」とケーキを頬張る。
心が癒された智之は慶子が好きになっていた。
「おばさん、おはようございます」
「智之君、おはよう」
毎朝の挨拶。そして、学校から帰ってくると、
「ただいま」
「お帰りなさい」
の挨拶。これだけでも、智之は幸せだった。
だから、智之が部屋で勉強していると、
「智之君、ちょっとお願い」
「智之君、助けて」
と、慶子が入ってくることがあったが、智之は煩わしいどころか、嬉しかった。その上、「ありがとう。頑張ってね」と慶子は背中に手をあて、励ましてくれる。
慶子は背が高く38歳になった今でも華やいだ雰囲気かあり、米屋の奥さんと言うより、都会の奥様と言っても通るような感じがする。田舎者の智之からすれば、まぶしいような存在、中間テストが終わる頃には、智之は慶子にすっかり恋をしていた
一方、夫婦の仲はと言えば、
「あなた、どこに行くの?」
「組合の寄合だよ」
「一昨日も寄合じゃない。そんなに頻繁にあるの?」
「うるさいな。どこだっていいだろう!」
と諍いが絶えない。
「少しは由起子の話し相手になって下さい」
「いいじゃないか、智之君に勉強を見てもらっているんだから」
「あなた、父親でしょう!」
「うるせえ!」
こうして智之も夫婦喧嘩のネタになっていた。
そして、今夜も夫は飲みに出掛ける。行き先は分かっている。きれいなママがいると評判の駅前のスナック。最悪だ。
こうなると、気持ちも離れ出し、夫婦の仲は冷え切ってしまい、事実、数年前から、完全にセックスレスになっていた。